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| 日本金融新聞の連載コラム「大成小成」を掲載しています。 |
| 日本列島は相変わらず地震で揺らいでいる。四月十一日、各マスコミは「震災後一ヶ月」とのタイトルで報道したが、被災地の人々は「震災"後"ではない」と反発した。まだ震災の過程の中にあるのだから当然の反応だろう。「まだまだ続く」という想いと、国のリーダーシップ不在が不安を増殖させている▼それにしても、このような状況になると、いかにこの国にはオカシナ法規制や官僚構造が多いのかが露呈される。それらの規制のために救済活動が遅れる、救援物資が届かないなどということが起こる。中央集権構造では危機時に適切な対応ができないという構造的な問題もある。もっともこれは、「誰がリーダーか」ということの問題でもある。すべてのコントロールを中央で行おうとするならば、それができる人間がいなければならない。だが、そんな人間は本当にいるのだろうか▼なんでも法律で規制してしまうという考え方は、なんでも国に管理してもらうということに直結する。それが問題なのは、国民の自立心を損ない依存体質を増幅させてしまうという、結果だけのことではない。なんでも国に任せられるほど、国が正しい判断を下せるはずがないからである。正しい判断を下せないという前提に立てば、国民はより国の行動に対し監視しようという意識が起こるし、マスコミも国の言うがままの報道を垂れ流したりしないものである。だが、何かが起こると「もっと規制しろ」と主張して国の権限を強化させるのは、国民とマスコミ自身である。 |
| 貸金業者に被災者への緊急融資を求めないのは、結局はいまだに貸金業者を信用していない証拠である。融資を行わせると、その後に「過酷な取立」が行われると疑っているように見える。だが、改正貸金業法は「業法にすることで銀行や証券会社等と同じ位置付けにした」と言っていたはずなのだから、この取扱いは矛盾している▼「気の毒な被災者から金利を取るとは何事か」。そういう第三者の情緒的な意見も聞かれるそうだ。だが、それは借り手の心理をまったく理解していない、単なる情緒論に過ぎない。無利息になると、借り手は「いつ返しても一緒」となるので、「なるべく早く返そう」というインセンティブがなくなる。その結果、後回しになって返せなくなったりもする。阪神淡路大震災のときに、地方自治体は「当座の生活資金」を無利息で貸したが、その後は貸倒が多く出た。一方、消費者金融に対する返済は督促などしなくても通常通りに行う顧客が多かった。「こちらとしては、被災者には返済猶予措置などを準備していたが、わざわざ避難先から返済に来る顧客が多いのには驚いた」とは、当時の取材で聞いた話だ▼それにしても、何でもかんでも「自粛」するムードが蔓延しているのはいかがなものかと思う。経済を可能な限り回していかなければ復興の助けにもならない。被災地では、あらゆる産業が営業再開に向けて頑張っている。それを後押しするためには、被災地以外が経済活動を活性化して需要を増やすことも大事だ。 |
| 大地震は庶民の生活基盤を大きく揺るがした。福島原発の事故は日本の電力政策そのものにも大きな影響を与えることになるだろう▼貸金業に関する金融庁の対応ははっきりしない(少なくとも明示されていない)が、例えば親戚などを頼って被災地から離れようとするときに、なにがしかのつなぎ資金を必要とする人は多いだろう。ある消費者金融会社に聞いたところ、すでに被災者からの融資申込みが見られるそうである。こうした人たちに対して「法律上貸せません」などと言うことは社会正義に反すると思われるのだが、行政はどう考えているのだろう▼地震と関係するのかどうかよく分からないが、みずほ銀行が大規模なシステム障害を起こし、給与支払い処理や企業の決済処理に遅れを生じさせている。これが、さらに庶民生活に大きな影響を与えることになりはしないかとの懸念がある。個人ベースで言うと、住宅ローンやクレジットなどの支払いに関する問題だ。こうした決済はメインバンクでの引き落としで行われることが多いが、メインバンクは給与振込先でもある。給与支払いが銀行のシステム上の問題で遅れるということになると、雇用者は期日通りに支払い済みでありながら、被雇用者側は入金されないということになり、その直後に控えている決済ができなくなる可能性が出るのではないか。こうした「災害」に対しても、引き落とし処理をする側の銀行やクレジット会社が何らかの手当てを配慮する必要があるのではないだろうか。 |
| 菅政権が末期現象となっている。民主党小沢元代表の「カネ」の問題で党員資格の一時停止を決め、党離脱者が出るなどしていたら、今度は次期首相候補と言われていた前原さんに「カネ」の問題が起きた▼小沢さんが有罪と決まっているわけではない(むしろ、これまでの流れを客観的に見れば無罪の可能性が高い)のに資格剥奪したのだから、前原さんに対してはどうするのか。明らかに不平等な扱いをすれば民主党としての信頼性は底に落ちる。なんとも首脳部としても頭の痛いことだろうが、だいたいが世論(というかマスコミ報道)だけを頼りにして場当たり的な対応ばかりをしているからこういうことになる。こういうのを自業自得という。筋が通っていないとあらゆるところで矛盾が出てくるというわけである。まず、政治思想という「筋」の通っていない政党が多いこともこうしたことに拍車をかける▼それにしても、マスコミの報道は偏りすぎている。京大などで起こったカンニング事件はどれだけの時間を割いて報道すれば満足するのだろうか。別に殺人を犯したわけでもないのに、受験生(なのだから最初から未成年である確率が極めて高いにもかかわらず)のプライバシーを根こそぎ報道している。これでは、匿名性はないに等しい。報道の強弱の付け方は、その報道機関の姿勢にかかわるものだと思うのだが、そういうことはあまり意識されていないようだ。これだけを見ると、日本は平和な国に見えてしまう。政権末期だというのに。オカシイ。 |
| 超党派勉強会が開催されたのが二月十七日、そこで石川氏は「過払債務返還基金」の創設を提案した。その翌日、武富士創業者の長男である武井俊樹氏への財産贈与に係る最高裁判決が下された。海外居住者である実態を認め、国税が徴収した税金に「利息」をつけて返還しろ、という判決である▼他人の金だからとやかく言う筋ではないが、この戻ってくる税金を、石川氏発案の「過払債務返還基金」設立のための基礎資金に充てればいいのに、と思った次第。同じく税金問題では、武富士の会社更生手続きにおいて、過払い急増前に、利息制限法超過部分での営業を元に出された利益に対する税金の還付請求が出された。これが認められるのだとすれば、国はこれまで貸金業界から集めてきた「過払い税金」から何らかの計算方法により基金への拠出額を決めて拠出すればいい。貸金業者が倒産するたびに個別に対応するよりは、それで国も「過払い税金リスク」を整理することにすればいいのではないだろうか。もっとも、それは莫大な金額になることが予想され、結局過払いは全国民が負担する結果になる▼いずれにせよ、過払いなどというあり得ない制度を容認したことでいろんなところで矛盾が噴出する。それを他人事のように受け止めていた政治・行政は、そのために巨額の税金負担がのしかかることになって初めて問題のオカシサに気がつくのだろうか。元々合理性のないところでいくら理屈を考えても解が出ない、という当たり前の「オカシサ」に。 |
| 家賃保証に関する法的枠組みが決まる動きとなっている。その中に、情報機関設立の問題がある。保証業務に発生するリスクを抑えるために、「踏み倒し常習犯」は排除しようという考えだ。だが、業界関係者に聞くと「情報機関を運営するためのコストが賄えそうにない」ことから、機関設立に関して必ずしも積極的ではないという▼それはともかく、家賃支払いに関する信用情報と、クレジットビジネスに係る信用情報をどのように位置付けて考えるのか、水上氏も前号と今号のコラムで書いているようにこれがなかなかに難しい。家計における住居費用と捉えれば、家賃と住宅ローンの支払いは同様の位置付けになる。そもそも、アパート経営をする大家さんの中には「プロではない」人も大勢いる。そうすると、クレジットビジネスのような「プロ対アマ」の単純な構図も描けない。大家さんに過度のリスクを負担させようとすれば、店子を選ぶのにより慎重にならざるを得なくなり、結果として家を借りられない人を増加させる、という本末転倒なことも起こりかねない▼昔、アメリカで低所得者保護のために家賃価格の上限規制をしたら、家を借りられない人が大勢出てしまったことから規制を撤廃したという事例がある。保護の目的にも関わらず逆の結果を招いた典型例だ。また、日本の場合は信用情報に関する考え方にも問題がある。信用情報を「ブラック」として扱う傾向が強いという問題だ。むしろ大勢を占める「ホワイト」のために信用情報はあるのだが。 |
| 大学新卒者の内定率低下が問題となっている。これに関する識者の意見は様々だ。「そもそも大学卒が増加しすぎた」「大企業ばかりに集中するから問題だ」「既存正社員の雇用の流動化が必要だ」等々。だが、マスコミは相変わらず「就職できなくてかわいそう」的な、情緒論で片付けようとするので構造的な問題の議論には到達しない▼法改正で収益が低下した貸金業界(クレジット業界も含む)は、経営が成り立つための計算の結果として合理化策を進めている。そのいちばんの標的になるのが人件費である。企業経営の視点に立てば、合理化により経営基盤を整備して利益を確保できる体質に変化することは「喜ばしいこと」として評価される。だが、その結果として雇用の機会は縮小する。これまでに、どれだけの人材が業界から出て行ったのか、またそれらの人は次の職を得ることができたのか。これを「雇用問題」の観点から見れば無視できる規模ではないはずだ▼以前、「貸金業に務める人間は他で雇われないから貸金業をやっているに過ぎない」と差別的発言をした弁護士がいたが、そういう人から見れば貸金業の従業員はリストラされて職がなくなっても「やむを得ない」とでも言うのだろうか。だが残念ながら、それらの人が別の場所で職を得るということは、結果的に一般の求職者の就職機会を奪うことになるので、貸金業者だけの問題ではなく社会的な問題なのである。廃業者の増加もまた同様。なぜそれが無視されるのかが理解できない。 |
| 内閣府の規制・制度改革分科会が金融分野の論点としてまとめている中に「貸金業法の見直し」がある。ただし、「大企業に対する貸付」に限定されている。「融資対象者が大企業であれば、消費者や零細事業者のような保護は必要なく、むしろ今の規制は事務手続き効率を阻害している」という趣旨による見直しである▼金商法が規制強化された後にも、「一般の個人投資家と同じレベルの保護は機関投資家に必要ない」として、「プロの投資家」という概念で切り分けられ規制緩和に向かった。同様に、貸金業についても「プロとアマ」の切り分けをしようということである。それ自体は、当然の話であり、むしろ改正するときにそれが考慮されなかったことが、いかに稚拙に、いかに一方的な視点に偏って法改正が行われたかの証拠でもある。だが、業界関係者に聞くと、「あの貸金業法見直しに関しては方向性がしょっちゅう変わっている」という。以前は、もっと幅広い視点から見直しの可能性について取り上げていたというのだ。だが、「恐らく何らかの圧力があって、無難なところだけを取り上げたのではないか」。それですでに実績のある「プロ・アマ」議論に持ち込んだ▼「そもそも、新規参入ができない産業となってしまったことに問題がある。新陳代謝のないところに健全な発展はない」という意見を聞いた。新規参入できない産業の典型が銀行だったが、そこに貸金業界も加わった。それで「産業の成長を目指す」のはやはり無理なようだ。 |
| 貸金業法はリスク市場への資金供給を閉ざすことを目的に改正された。この場合の、前提とされている「リスク市場」とは、いわゆる多重債務者のことを指す。ただし、「多重債務者」自体の定義は極めて曖昧だ。その上でとりあえず、「年収の三分の一以上借りたら多重債務者」とラインを引いてみた。だから、「返済可能性のある多重債務者」も正規市場から追い出された。利用者の意向は一切考慮されなかった▼筆者は、業界紙を作っているからという立場の問題ではなく、国民として、国が国民の生活を必要以上にコントロールしようとする思想が国のあり方として問題だと考えているので、業界が「条件交渉で少しでも何とかしてもらう方が現実的」という姿勢を持っていることにも反発を覚える。利用者の自由な経済活動を規制して国が作った極めて歪んだ枠組みに押し込む、この改正貸金業法の思想そのものが問題なのである。その本質から目をそらすということは、本来の資金需要者の利益(適切な資金を借り入れることができるという利益)を損ねることである。だから、根本的なところから議論をし直さないと、いつまでたっても利用者の視点に立っているとは言えない▼もちろん、返済能力を超えた借入を行ってしまった人に対しては、それを解決できる適切な手段にアクセスできるようにすることを否定するものではない。もし貸金業者が、適切な審査を行わずに貸したというなら貸倒になって不利益を被る。貸し手責任はそれだけで十分機能するはずだ。 |
| 年が新たになると何か変わるのかどうか。合理的に考えれば、何も変わらない。時間は年末年始に限らず同じように過ぎていくからで、元旦も大晦日の続きに過ぎない。
だが、人間の社会生活は「気持ち」に左右されて変化するものなので、「年が変わった」という気持ちの変化、「今年はいい年でありたい」と願い気分を一新して前向きに行動しようとするリセット効果が、全体的な変化をもたらす。では二〇一一年はどのような年になるのかを考えるとき、その答えは「どのように変えようとするのか」というそれぞれの行動にかかっていると言える。受動的に誰かが何かをしてくれるのを待つのではなく、自らが何をするのかが鍵となる。
貸金業法の改正と利息返還請求の増加(もしくは当然の権利としての定着化)により、貸金業市場は壊滅的になった。ストック事業であるために貸出残高は減少しているとはいえ一定の規模がある。だが、市場を貸出残高で見るのは貸し手目線に立っての話である。借り手目線に立ったときの問題は残高ではない。日々の貸付が行われているのかどうかということが問題となる。その意味では、月を追うごとに貸付そのものが大きく減少し、資金需要者はその需要を満たせない状況が生まれている。
資金需要者は「貸してくれない」と分かれば申し込むことはしない。従って、申し込み自体も減少している。「申込み客自体が減少しているのはなぜだろう」と言っている貸金業者は、そのことを理解していない。社会的問題を起こせば利用者の信頼を失うのは当然だが、実は「貸さない」という利用者の期待を裏切る行為もまた、信頼を失うことなのである。これは、貸金業者の代替的役割が期待されている(らしい)銀行の現状を見ても明らかだ。銀行は長年にわたり庶民金融機能を果たしてこなかった。銀行が対象とするのは大企業もしくは大企業に勤める従業員としての個人であり、国民の大多数を占める中小企業・零細事業者及びその従業員は門前払いされてきた。今さら、「多重債務相談窓口を設けました」「新たな商品を開発しました」と言われても、それだけでありがたがって足を運ぶようなことはしない。
国も、そして金融機関も、さらには貸金業者でさえ、資金需要者がどういう気持ちで経済活動をしているかを勘違いしているのである。資金需要者のプライドを理解していないのである。資金需要者の多様なニーズを認めず、一方的な価値観を押しつけているのだ。それがどれほど傲慢な行為であるかを資金需要者は敏感に感じ取っている。
一方的な価値観という側面では、「多重債務者」という言葉の都合のいい使い方に含まれる価値観の問題がある。法改正は多重債務者の定義も不明確なまま「多重債務問題の解決」を目的として行われた。だが、多重債務問題解決の手段が総量規制なのだとしたら、なぜ総量規制を超える金額を銀行から借りることはヨシとされるのか、まったく合理性はない。「銀行は過酷な取立をしないから」などという実態を知らない有識者の意見を聞いたことがあり、あきれた。銀行が行っている個人向け及び零細事業者向け融資のほとんどはノンバンクの保証提携により成り立っているのであり、延滞になれば求償権の移ったノンバンクが回収するだけの話である。つまり、銀行は過酷な取立をしないのではなく、自分では手を汚さない(そのノウハウもないしリスクをとりたくもないから)だけだ。
また、「多重債務者」という言葉が使われるときに、その裏に何らかの差別的な見方が隠れているような不快感を感じるのは筆者だけなのだろうか。法改正の前提となった懇談会での発言や、その後の多重債務懇談会での発言などを聞いていると、多重債務者とは「社会的にも経済的にも弱者」であって「判断力もない」のだから国の手厚い保護が必要な人々の集まりだ、つまり市場不適応者だと言っているようにしか聞こえないのだ。ところが、その基準は曖昧であるにも関わらず、多様性を無視して一律基準を持って市場から排除する。受け皿とされているセーフティネットが社会福祉制度融資だということが、利用者の実態を理解していない証拠になるのは皮肉なことである。
このような「多重債務」を中心とした差別的な議論と政策が行われているときに、「私こそ、社会生活不適応者である多重債務者です」と名乗り上げる人がどれほどいると思うのか。もちろん、本当に破綻状況にある人はリスタートのための債務整理という行動を起こすのは当然だが、それが大多数だという前提に立つのは利用者を馬鹿にした判断としか言えない。
だが業界は、ゆがんだ法の枠組みに意義を唱えることもなく(しかもその理由は「お上が怖いから」であって、利用者のことを考えているわけではない)この貸金業法の下で再生に賭けるだろう。「ミドルリスク・ミドルリターン」の圧倒的に縮小した市場の中で、何とか経営が成り立つところも当然のことながら出てくると思われる。だがそれは、法改正前に利用してくれた多くの顧客を捨てた上で成り立っているものであるということは忘れないでもらいたい。
夜明け前が最も暗い、とは何とか光明を見いだしたいときに使われる言葉だが、残念ながら業界の夜明けは時間が来れば自動的に訪れるものではない。夜明けを迎えるには、改めて資金需要者の利益とは何かを真剣に考えることしかない。そうして、改めて資金需要者との信頼関係を構築するために必要な改革を進めていかなければならない。 |
| 大東文化大学で行われた法律シンポジウムは二十回目を迎えた。当初から、木村晋介弁護士が企画・コーディネートを行っていたそうだ。毎年一回、その年に施行もしくは改正された法律の中で、それによってどのような影響をもたらしているのかを検証することを目的としている。参加する学生も多数だ▼学生はどの教授を選択するかによって法的志向が左右されるきらいがある。以前、ある法学者に聞いた話では「司法関係者に社会主義的思想の強い人が多いのは、学んだ教授がそうだったからで、自分では社会主義と認識しないままその傾向に染まる場合が多い」。そういう意味では、一つの法律に対して賛成派、反対派の両者が意見を戦わせる機会を作ることは、学生にとっても視野を広げることになると同時に、学問とは「暗記すること」ではなく「考えること」であることを知らしめることになる▼また、そういう意味では、小林節教授の言った次の言葉はきわめて普遍性の高い言葉だ。「悪と善に分けた対立構造で議論してはいけない」。貸金業界だけでなく、一般的にも企業は悪、消費者は善の対立構造で制度議論をしようとする風潮がある。だが、企業と消費者を分離することはできない。一個人は企業人としての側面と消費者としての側面を併せ持つからだ。企業の発展がなければ消費者としての発展はなく、逆もまた同じ。今どき、昔々の資本家が労働者を搾取する構造のままだと考える方が不自然なのである。しかもそれは情緒的判断に流されやすい。 |
| 武富士が会社更生法手続を申請した直後、金融庁は財務局登録業者の「経営実態」についてヒアリングした。通常の立入検査は「業務実態」を調査するのみであり、経営実態については調査しない。今回が初めてだ。大手の破綻という現実に直面して、慌てて経営実態調査を行うというのだから、今まではこの法改正で業界がどうなっているかあまり関心がなかったらしい▼回収資金のほとんどは「過払い請求」の返還原資となるのだから、貸付をしようにも資金がない。そもそも、法改正当時は「貸せないという影響なら問題ない」などと言っていたのだから、市場縮小を奨励していた。ところが一転、今度は「資金供給機能を果たして下さい」と言うのである。供給できないほど痛めつけておいてから供給しろと言われても、これこそ「できない相談」というものだ。一度壊れたものは取り戻せない、という現実をあまりにも理解していない言葉だろう▼繰り返し書いてきたことだが、利用者への影響はじわじわと進んでいく。どこかの経済学者は「茹でガエル効果」と称した。今回の利用者調査は、まだ貸付の抑制が完全に行われる前だが、それでも借りられない利用者が増加していく姿が捉えられている。利用者の我慢にも限界があるが、限界に来たときにどうなるかは「そのとき」が来てみないと分からない。ヤミ金融や現金化業者をセーフティネットとして活用するのか、ギリギリまで消費を抑えて「格差の固定化」につなぐのか。利益を得る人は誰もいない。 |
| 前号、唯野さんの連載で触れてもらっているが、このところの貸金業法に絡む報道記事に違和感がある。完全施行の影響を危惧する記事であっても、なぜ法改正が行われたかの下りに必ず出てくるのが「過酷な取立」だからだ▼少し前までは、そこにあったのは「多重債務問題の解決」であった。「多重債務問題を解決するという法改正の趣旨は是認できるが、その処方箋として正しいのか」といったものである。ところが、それにいつの間にか「取立問題」がくっついてくるようになった。これは記者にレクチャーしている誰かしらの何らかの意図を含んだもののようにしか思えない。マスコミ記者の方々は、すでに法改正議論の時からは人事異動が二回は行われているだろうから、その当時のことは知らないのだろう。だが、それでも当時の懇談会資料などにあたれば一目瞭然である。もちろん、法改正をスムーズに行うためにことさらに行政処分を連発し、それをマスコミの力を借りて大げさに取り上げ「規制やむなし」の方向性を作った。だが、その行政処分の内容をちゃんと見れば「?」と思うのが常識的な感覚である▼既に忘れている人も多いだろうからついでに言えば、当時メディアでやたらと流された「アイフルによる電話」の録音テープは、アイフルではなかったことがその後判明しており、裁判上で決着がついている。だが、それをマスコミは誰も取り上げなかった。このようにして、世論というのは誰かしらによって操作され続けるのであろう。 |
| 「政治主導」というのは政権交代時のスローガンであったが、現在は「政治主導」どころか「政治って何ですか?」状態である。危機管理意識のなさが指摘されているが、そもそも危機の存在が前提にされていない。「自民党の人達ができたのだから自分たちにもできるだろう」的な世界で生きているようにしか見えない▼貸金業に関して言えば、フォローアップチームをやれば「影響は出ていない」と言い、大阪府の特区構想には「法の下の平等を損ねる」と言い、過払い問題には「立法的解決は財産権の侵害になる」と言う。いろいろ理由はつけているが、要するに「政治的なことは何もしたくありません」と言っているに過ぎない。だが、今回公表された業務報告書集計の内容をきちんと見るだけでも、「影響がない」などとは言えない実態が明らかである。資金需要者の「借りる利益、権利」は、一律的基準の下に侵害されているが、特に顕著なのが小規模事業者の借入である。あるのは一億円を超える大口融資だけ。ところがその残高総額をもって「事業者融資は行われている」とする。そしてマスコミは行政の言うがままなので、その内容を検証しようという姿勢はない。マスコミが何も言わないなら何もしないのが「政治主導」ということになっている▼中国やロシアに対する外交姿勢が「間抜け」なのは日常的な危機感が全くないからであるが、これもまた、嫌な実態は見たくない、面倒なことはしたくないという姿勢の表れであり、すべてが共通した問題だ。 |
| 検察のあり方が問われている。検察が証拠を改ざんすればえん罪はいくらでも産まれる、というのは当たり前だが、警察においても「認めてしまった方が楽だ」などと自白を強要する事例は以前から指摘されていた。代表的なのは「痴漢えん罪」。だが、似たようなことはいろんなところで存在していると感じる▼例えば、過払い判決における「過払い充当合意」という概念。貸金業者は、少なくとも貸金業規制法ができてから二十年以上、そんな合意を含む契約など行った覚えはない。だが、判決の中で「過払い充当の合意がある」と解釈され、「それを認めろ」と最高裁判決で強要する。強要された貸金業者は、「最高裁判決だから仕方がない」とそれ以降争うこともあきらめ、あたかもそんな合意が元々あったように振る舞う▼例えば「過剰融資」。法改正前の上限金利で行われた貸付の市場は「そもそも過剰融資なのだ、それを認めて過剰融資市場を切り捨てろ。認めた方が身のためだ」と言われ、過剰融資ではないと思っていたはずなのにいつの間にやら法改正以前の市場は「過剰融資市場なのでそれらの顧客は切り捨ててもいい」ということになる。そうして新たなストーリーが作られる。「法改正後は健全な市場になった」ことを前提とするストーリーである▼その被害者は、「正規市場から借りることはできない」と一律的に切り捨てられた資金需要者たちである。加害者は、プライドだけで法の枠組みを守ろうとする行政と、結果的に荷担した業界である。 |
| 国は、地域特性や国民生活の多様性を認めず、金太郎飴のようにどこを切っても同じ顔をした国民であることを望んでいるようである▼大阪府の小規模金融特区構想は門前払いを食ったが、その理由が「公平ではないから」である。一見すると、いかにも国民の平等を確保する正しい回答のように見えるが、この「公平」には、地域特性や国民生活の多様性を考慮していない。例えば、総量規制は、平均年収の低い地域も高い地域も関係なく一律であるし、属性の違いで可処分所得が多かろうが少なかろうが関係なく一律である。簡単に言うと、「国が決めた資金需要者モデルからはみ出したものは考慮しない」ことを「公平」と言っているのである▼なぜそうするかといえば、その方が行政及び国として「楽であり、リスクが少ない」からで、多様性などに国が対応していたら行政コストがかかりすぎる。また、もし何か問題が起きて批判が出たときには、それぞれの事情など勘案する暇がないので対応に困るからだ。つまり、この「法の下の公平」は国民のために発動されたのではなく、為政者側のために行われた措置ということになる。こうした国の怠慢に異論を投げかけなければいけないはずのマスコミはといえば、相変わらず国の発表通りに報道を垂れ流すだけで、これもまた「リスクをとりたくない」姿勢の表れに過ぎない。本当に国民の目線に立つなら、国民それぞれの多様な生活に応じた資金ニーズを認め、しかも国が「統制」しない制度を考えるべきだ。 |
| 金融庁は、武富士が会社更生法を申請した九月二十八日の翌日に、金融機関を対象とした通知を行った(十月一日の自見金融担当大臣のコメントでも、それについて触れられている)。内容は「武富士からの借入客には丁寧に対応するように」。これを見た金融機関は「どういう意味だ」と首をひねった▼まず、想定からして現実離れしている。武富士は、既存客に対して直ちに一括返済を求めているわけではない。ただし、一定の期間、新たな融資を受けることはできなくなる。新たな融資を受けられなくなった顧客が銀行の窓口に行って「私は武富士から借りてますが、武富士の代わりに貸して下さい」と言うとでも思っているのだろうか(思っているかもしれない。なにしろ「パンがなければケーキを食べろ」の発想だから)▼さらに「丁寧に対応しろ」とはどういうことか。「希望通りに貸せ」ということなのだろうか。仮に、「貸せ」ということだとしても、現在の金融機関が扱っている個人向けローンのほとんどが、ノンバンクの保証をつけた商品である。従って、保証提携先の判断によって融資の可否が決まることに代わりがない。保証提携しているノンバンクは、代位弁済により損失を被るような保証をすることはできない。それらのノンバンクも武富士同様、厳しい経営環境の中でわずかな利益を確保しなければならないからである。多重債務対応以来「丁寧」という言葉が好きな金融庁だが、資金需要者が求めているのは適切な資金の確保である。 |
| 月曜日の朝は武富士報道で起こされた。どうやら火をつけたのはNHKのようだが、各マスコミが同時に報道合戦をしたところを見ると、「知っていたが正式なものとなるのを待って準備していたのに、NHKが抜こうとしたから追随やむなしとなった」ということなのだろう。武富士側は「正式な決定はしていない」というから、武富士が会社更生法手続に舵を切る前にすっぱ抜かれたことになる▼これが、利用者側にどのような「混乱」を生じさせるのかは想像がつかない。すでに新規貸付はほとんど行われていないが、過払い金返還債権者としての顧客はどうするのか、返還訴訟を起こしている人達はどうするのか。場合によっては、債権者間の公平性を損なうという問題がある。それにしても、破たんの原因は過払いの増加にあるのに、「過払い金が戻らなくなる恐れがある」と騒ぐマスコミ報道は自己矛盾を起こしている▼業界環境は依然として厳しい状態が続いていることから、利用者の資金調達手段はますます選択肢がなくなってきた。「貸金業者が貸さないなら銀行が貸せばいい」という絵に描いた餅のような言葉は、「パンがなければケーキを食べればいい」と言っていることとほぼ同じなので、まったく利用者にとっては無益な言葉となる。現場を見ない政策が、どれだけ一般国民に負の影響をもたらすか、あとで後悔しても元には戻らない。そう言えば、「これは壮大な社会的実験である」と言った人もいたが、国民は実験動物ではない。 |
| 日本振興銀行が民事再生手続を申請して破たん。さらに、初めてペイオフの発動がされた。初めてだから、ということだろう。マスコミはペイオフに絡む報道に熱心である▼だが、問題はそれだけではない。「借り手」への影響が懸念されるのである。ある、経営コンサルタントに聞いた話では「小規模企業や個人事業主で、振興銀行からの借り入れがあると他の銀行からまったく借入ができない、もしくは貸し剥がしにあう状態が発生している」と言う。元々、銀行の貸し渋りが進み、さらに貸金業者からの資金も途絶えたところに振興銀行が積極的に融資をしたケースは多い。破たんしたからと言って回収を迫られることはないにしても、新たな資金を得ることはできない▼そこに、貸金業法の完全施行が悪いタイミングで重なる。法改正の影響が本格的に出るのは年末にかけて、というのだから、資金繰りは完全に詰まる状態になる。セーフティネットとしての返済猶予は、あくまでも返済猶予であって返さなくて良いというものではない。追い込まれる小規模企業が大量に発生してもおかしくない。金融庁の貸金業フォローアップチームは、まだあまり影響の出ていないこの時期に実態調査を行った。その翌日、大阪府の小規模金融特区構想に対して「対応は困難」との回答を行った。特区構想を拒む理由づくりのためにわざわざ前日開催したのだろうかと、少々疑ってみたりもする。影響が目に見えるときを待つのであれば、あまりにも遅すぎることになろう。 |
| 法改正が資金需要者に悪影響を与えていないかどうか、金融庁も無関心というわけではなく調査する意思はあるがなかなか実態がつかめないという。それはそうだ。今まで貸していた業者が廃業してしまっているのだからその先の顧客にはたどり着けないし、残っている業者は「貸すのを断った」顧客がどうなっているかは知らない▼もう、何回も書いているのでくどいようだが、改めて問いたい。金融庁は債権を持ったまま廃業した「みなし貸金業者」について、実態把握と適切な監督を行っているのかどうか。行っているのであれば、その実態について早急に明らかにすべきであるし、行っていないのであれば借り手保護のために早急に実態把握に努めるべきである。ヤミ金融の実態を聞かれるたびに「何しろヤミなので実態が分からない」と答えてお茶を濁しているが、少なくとも、みなし貸金業者がソフトヤミ金化していないかどうかを把握することは可能である。それだけでも、正規市場から排除された顧客の実態に近づけるだろう。一万社のみなし貸金業者が、それぞれ百人の顧客を持っているだけでその先には百万人の顧客がいるわけだ。しかも、それらの顧客は「利用者保護」の観点からすれば中途半端な位置付けになっている可能性が高い▼「みなし貸金業者による貸付は総量規制対象外」として指定信用情報機関のデータベースから消失させた判断も意味が分からなかったが、では、「資金需要者保護の枠組みからも対象外」ということが言えるのだろうか。 |
| 政府が2008年秋に行った「緊急保証制度」による中小企業向け融資が2100億円の貸倒を出したそうである。はじめから予想された結末、ではないのだろうか▼景気の悪化から来る資金供給不足(貸し渋り)は、借り手のリスクが高まるから金融機関が貸さないという当たり前の行動に出た結果である。それに対して、政府が保証制度によって資金供給を図る。だが、物事の大前提が「景気の悪化」なのだから、景気が回復しなければ業績も回復せず結局返済ができなくなる。従って、こういう保証制度は景気回復策とセットで行われなければ意味がない。しかも、このようなときに突然正義の味方となって現れる保証機関は、要するに日常的には金融業務を行っていない「素人」なのである。リスク市場への資金供給には、融資後の途上管理が重要な意味を持つ、ということすら分かっていないだろう▼新銀行東京が多額の不良債権を出したり、日本振興銀行が違法行為となる手段を執らざるを得なかった根本的な原因は「机上論ではリスク市場への融資はできない」つまり「銀行にはできない」ということにすぎない。貸金業者がやってこれたのは、もちろんリスクに見合う金利を取ることができたからということもあるが、リスク市場への審査及び管理のあり方、というものを徐々に身につけていったからでもある。消費者金融においても然り。長年にわたるデータベースの構築が与信精度を上げるのであり、そのためには一定のリスク発生もまた必要条件なのだ。 |
| 誰も貸さない。であれば申込み客があっちこっちの貸金業者を回っているのかと思えば、誰も貸してくれないことが分かった利用者は、わざわざ貸金業者のところに行ったりしなくなる。「貸せないので成約率は低いが、そもそも申込み客自体が少ない。なぜだろう」。ある貸金業者との会話の中で一緒に考えてみた▼結論は、「法の認知率が高まったおかげで、最初からヤミ金融に流れているのではないか」ということだ。廃業した貸金業者のところにいつものようにお客さんが行けば、仕方がないから貸してしまうだろう、ということについてはこれまでも書いてきたが、地方の貸金業者を中心に訊いてみるとやはりそういう傾向があるという。「中には、仕方がないから、ではなくて、積極的にヤミに潜ってしまう人もいる」のだから、実はヤミ金融市場というのは思っている以上に大きいかもしれない。完全施行前後では、予想していたように登録業者数は大きく減少した。この傾向がしばらく続いた後、なだらかに減少が止まるはずだが、果たしてどうなるか▼「結局、この法改正が行ったことは、正規業者以外の市場を作ったこと。昭和58年の貸金業規制法前の状態に戻ったということでしょう」。そうだとすると、次はどのような規制法を作って新たな市場への枠組みを設けようとするのだろうか。既存市場から資金需要者を排除すれば新たな市場ができる。これは、金融機関も含めた金融市場の枠組みでも、歴史的に繰り返されてきたことなのである。 |
| 「すでに、銀行に情報を見られるのはイヤだ、などと言っている方がオカシイということになるだろう」。JICCはCCBと合併したことで金融機関会員を受け入れた。CICは金融機関も本体発行カードや提携ローンで割賦販売法の規制を受けることから、金融機関会員を受け入れている。長い歴史の中で、貸金業界、クレジット業界共に「銀行加盟は反対」と言ってきたが現状はどうなのか、と、ある人に訊いたときの返答▼銀行加盟に抵抗していた理由の大半は「そんなことをしたら市場をとられる」。つまり、情報機関に加盟させないことにより参入障壁を作ろうとしていたことになる。だが、その選択は本当に正しかったのだろうか。貸金業者、クレジット会社にしても、不十分な信用情報で与信を行えばその分リスクが高まり、顧客の信用リスク判定に齟齬が生じる結果、リスク別のサービス提供をしにくくなる。「リスクによって金利は異なる」という業界側の主張も、「では、そのリスク判定基準は正確なのか」と突っ込まれれば答えに窮することになる▼なによりも、長い事業活動で積み上げてきたはずのノウハウは、銀行に情報を見られたぐらいで市場をとられる程度のヤワなものなのか、と言いたくなる。むしろ金融機関の行動パターンから考えれば、情報を見たことにより一層与信をするのが困難になる、ということになろうかと思うのだが。そういえば、大阪府の特区はなぜ対象が貸金業者だけなのだろう。金融機関にも門戸を開く方がいいと思うが。 |
| 大阪府が特区申請をしたのは貸金業に限定したものではない。六日発表された資料には、認可保育所に関する規制緩和、外国航空会社の国内線運行規制緩和など様々な分野での提案事項が乗せられている。これを見て、改めて思うのだ。「厄介な規制がやたらとある国なのだな、この国は」▼構造改革特区は小泉内閣の時に始まったが、当初はさておき、申請が許可されるのはあまり多くない。「ハードルは高い」とされる。なぜハードルが高いかというと、そもそも各種規制はそれを管轄する行政機関に何らかの恩恵を与えている場合があり、その規制が緩和されると行政が「困る」という場合がある。また、貸金業法のように立法府が「全会一致で決めた」と威張っているような制度だと、「地方が国にたてついた」行動として受け止められやすい。それで「怪しからん」などという発言が出てくるわけだ▼関係者の話では、大阪府に対して他の県からもエールが贈られているようである。地方経済は中央が思う以上に疲弊しており、それに拍車をかける改正貸金業法の影響に危機感を持っている。法改正議論のときは、うっかり上限金利引き下げ要求を議会で可決してしまったところでも、「こんなつもりではなかった」と思っている。それは、住人と密接に関わっている地方行政機関だからこそ肌身に染みて分かるのである。だが、「何らかの対策をとらなければいけない」と重い腰を上げたときには、貸し手も借り手も市場にいない可能性がある。 |
| 参議院選挙を前にして、消費税増税の議論が喧しくなっている。財政問題は深刻だが、なんでもかんでも国民から搾取することだけで解決を図ろうとしてはいけない(そのようにしか見えないから問題だ)▼そもそも、各政党がどのような基本ポリシーを持っているかが明確ではない。「我々は社会主義を目指します」というのか「自由主義を目指します」というのか、それすらも明確ではなく、「ちょっと社会主義、ちょっと自由主義を都合良く使い分けてまいります」とみんなが言っている。つまり、限りなくグレーである。グレーの配分がその時々で無責任に変わるので、国民は判断できず、それが長く続いた結果が「政治不信」となる▼先日読んだ経済学書で「民主主義的社会主義など幻想である」と明示してあった。社会主義を標榜する以上、国は支配層と被支配層に分断されざるを得ないからである。日本は社会主義ではなかったはずだと思っていたが、官僚主義になったので結果的には支配層と被支配層の分断が起こった。だがなぜか、国民は政治不信(官僚不信を含む)が強いにも関わらず、規制強化という政策には無批判で平気でさらなる権力を渡してしまう傾向がある▼「頭がいい人なのに、なぜこんなことをしたのか」と問われる経済事件がこの業界にもある。なぜ「頭が良い」と「悪いことをしない」などと思うのだろう。こういう思い込みが支配層を無批判に信用してしまう諸悪の根源なのだろうか。と、ちょっと思想的になってしまった。 |
| 法律関係の連載二本が揃って今回の内閣府令を取り上げている。それはそうだろう。こんな重要な改正項目が、関係者の意見も聞かず(パブコメに付されず)突然盛り込まれたのだから、取り上げざるを得ない▼そういえば、筆者もコメントをまとめて出したのだが「関係ない項目」に一緒くたにされたようで該当するものはなかった。その中の一つに「総量規制に抵触する」借り手という表現は止めろ、というのがある。「抵触」とは「ある行為が法律や規則に反すること」を意味するが、借り手を「違法行為者」のごとく表現するのはおかしいのではないかという素朴な意見である。抵触という言葉を使っているのはお上だけで、協会などでは「該当する」などの表現を使っている。これで「借り手の目線に立っている」と言うからチャンチャラおかしいわけである▼本当に新たな例外規定が必要だというなら、パブコメに付して関係者の意見を聞き、その実効性を検討するべきであった。これでは単なるポーズととられても仕方がない。いずれにしろ、緊急性資金についてもつなぎ資金にしても、「この金利水準ではリスクが取れないので難しい」というのが大方の意見。結局、内閣府令だけをこね回しても、完全施行の影響を緩和することが不可能なことを表している。「影響が出たら法を見直せばいい」と考えているかもしれないが、影響が出る、ということは不幸な利用者を増やす、ということと同じ意味だ。そこに無頓着でいられることにセンスのなさを感じる。 |
| 上場企業の三月末決算発表も終わり、あとは完全施行を待つだけという状況だが、世間の関心は盛り上がらないように見える。何しろ、また総理大臣が代わったのでそれどころではないだろう。こうしている間にも資金需要者の疲弊は後戻りできないところまで進んでいる▼貸金業PTのヒアリングで「金融政策は金融庁で、社会政策は厚労省や文科省でやるべき」と言った有識者がいたが、金融庁は金融政策はそっちのけで社会政策(多重債務問題)に執心しているように見える。完全施行で増加するであろう行き詰まった利用者への相談窓口の充実である。これ自体は悪いことであるはずがない。「市場の失敗」の負担を当事者が負うのと同様、「政策の失敗」の負担を当事者(政策者)が負うのだと考えると腑に落ちる。だが、どうしても残る違和感は何なのだろうか。それは、「ところで、健全な資金需要者の資金需要を満足させるという金融政策はどこにもないのですね」と思うからである。「借りられないなら整理しろ」という思想は傲慢に思える▼消費者金融大手がマンスリーステートメントを送付できずに銀行との提携ATMをやめている。すでに「消費者金融」の主な担い手はクレジット業界に移っていると言ってもいい。そうすると、クレジット業界はこれまでとは層の異なる資金需要者に対応する局面が増えてくるだろう。「予想しなかったこと」が起こり得る覚悟がいる。市場が変容するときには、プレーヤーもその変容に応じて新たな対応を強いられる。 |
| 「関係者はみんな、このままで行けば大きな影響が出るということは理解している。だが、自分が軌道修正の舵切り役にはなりたくない。にらみ合い状態が続いている」。ある業界人から聞いた言葉。「関係者」というのは国会議員(ただし問題を理解しているのは少数)、行政担当者、マスコミである。だが、そこにおけるプレーヤーの顔は代わっている▼これら「関係者」は四年前の法改正議論当時、あらゆる「ネタ」を総動員して問題を盛り上げ、法改正への道筋を作った。だが、予想を遥かに超える影響が顕在化しつつあるだけでなく、そもそもこのような規制をすること自体がおかしいのではないかという疑問を持ち始めている。マスコミは、四年前にはどんな報道をしていたかを忘れたように(実際に忘れているかもしれない。担当者も代わったことだし)、法改正後の懸念を表明している。だが、その解決策として上げるのが「セーフティネットの構築」という夢物語ばかりなので、やはり本質的なところは分かっていないのかもしれない▼先日取材に赴いた団体の総会で、「廃業した人は、どんなにそれまでのお客さんに頼まれても、新たに貸したりしないように。心を鬼にして断らないと、違法行為になる」という話があった。法を守るために、心を鬼にしてお客さんを断るのである。なんとも変な話ではないか。バンクが顧みない市場に融資を行ってきたノンバンクの役割を根本的に再構築して理解を得るためには、「顧客ありき」を訴えることが重要だ。 |
| 迷走を続ける民主党政権で、参議院選挙後にはまたなんだかヘンテコな政治構造になりそうだ。有名人さえ擁立すればヨシとしているのも国民をバカにしている。まともな議論によりまともな政治が行われることは今後ともなさそうだ。ギリシャの心配をしている場合ではない▼金融庁はようやく改正法の認知向上に向けたキャンペーンを始めたが、始めたといってもポスターと無料相談の実施。これでどれだけ効果があるのか期待はできない。それにしても「あなたは大丈夫?キャンペーン」などとタイトルをつけるのが、いかにも真剣さを感じられない。「大丈夫?」と言いたいのはこういう国側のセンスのなさの方である▼前々から噂には上がっていたが、過払い問題で国家賠償請求訴訟が起こった。少なくとも貸金業規制法の施行から二十三年間にも亘って、利息制限法を超える金利の有効性を信じて事業を行っていたら、「やっぱりやめた」とされ、さらにはその間に支払った税金もそのまま懐にしまってしまったのだから、国に責任があるのは当然と思うが、なにしろ国家賠償で勝つというのはなかなか例が少ないから、余程のことがないとこうした訴訟は起こらない。加えて、事業を続けている貸金業者は、そんなことをすれば金融庁からどんなしっぺ返しが来るか分からない、と思っているので皆黙っていたのである。だから廃業した貸金業者が立ち上がった、という図式になっているのだが、それ自体がこの国のいかにも歪んだ形を表している。 |
| 「予想通り」完全施行は六月十八日と決まった。この原稿を書いている時点では府令改正案は出ていないが、まもなく府令案も公表され、「ギリギリ」のスケジュールで施行に向かう。国は、自分たちの都合だけでスケジュールを作っているから、どんなに国民が困っても「ギリギリ」なのである。だから「予想通り」▼日本信用情報機構が金融庁経由で開示している借入件数別人数データでは、五件以上借入者は減少している。だが、廃業だけでもかなり多くのデータが消失しているのだから、これをもって多重債務が減少したとは言えないのではないか、と言っていたら、ある人からこう言われた。「改正法の附則に載っている多重債務問題の定義が『貸金業者からの借入』に限定しているんですよ。だから、廃業した人やヤミ金融からの借入がどんなに増えても、それは解決の対象となる『多重債務者』に入らない」。なるほど、うまいこと言うね、そういうことかと思ったが、笑点のネタじゃないんだから、うまいこと言ったからと笑っている場合じゃない▼もし、本当にそんな考えで政策が行われているのだとすれば、利用者不在も甚だしい。だが、貸金業者がいなくなったら貧困問題が鮮明になってしまった、という経緯もあるから(多重債務者=貧困者ではないが)、スケープゴートを利用して問題の本質を隠す、というのは失敗ばかりしている政策者の処世術として定着しているのかもしれない。ヤミ市場なら行政の監督不行届批判は起こらないのも事実だ。 |
| 新年度が始まったから、ということもあるのだろう、偶然というかタイミングよくというか、各方面からの調査結果がほぼ同時に公表された。ひとつは日本貸金業協会が行っている法改正内容の認知度調査、もうひとつは大阪府の貸金業実態調査である▼認知度調査の方は、結論から言うと「向上は見られなかった」ということ。また、興味深いのは前回調査した人の追跡調査をしたら「(総量規制に向けて)何もしなかった」人が圧倒的に多く、その理由は「何もしなくて良いと思った」が多かった、ということである。この結果が示唆するのは、「こうなりますよ」と知らせるだけではダメで、「どうすればいいか」まで周知しなければいけない、ということである。ただし、「どうすればいいか」は利用者の状況によるのだろうから、まさにこういう人こそ相談窓口に誘導することが重要となるのだろう▼大阪府も、地元貸金業者の意見を丁寧に拾い上げていて興味深い。ヤミ金融の実態などは、こういう粒々の調査、意見の拾い上げでようやく見えてくるものなのだ。本来の、地元密着型で貸し手と借り手の間の距離が短い関係は、全国一律的な視点で括ろうとしても見えてこない。地域によって市場性も違う。従って、大阪府のように、それぞれの都道府県で市場調査を行うことが実態を見る上で重要になってくる。そういう意味では、協会が実態把握に努力していることは認めるが、せっかく持っている支部の日常的な活用をもっと推進すべきなのではないか。 |
| 実効性の有無はともかく、完全施行で市場から排除される利用者への影響を考えて、「激変緩和措置」を公表したのだから、「わずかでも規制緩和は許さない」層から反論が出ることは予想されたが、それにしても…である▼前号で指摘したように、総量規制で行き詰まる人に対して自社の貸付部分について返済方法の見直しなどを行うのは、これは今までもしていたのだから問題はない。だが、他社の分まで「まとめて」面倒を見る貸し手はいない。それを、さらに「七・五%以下で」「利限法引き直しで総量規制該当者に限る」ならば、絵に描いた餅は絵にもならない。信用保証協会や銀行の保証会社が「厳しい取立をしない」というのも幻想で、柔軟性がなく画一的な行動しかしない分、現在の消費者金融会社よりも取立行動は容赦ない。そもそもこれらの保証を使うなら、審査ノウハウがないために銀行の蛇口はさらに閉まるだろう。つまり、業界を徹底的に敵視する思想は、結果的に資金需要者の不利益にしかならないというわけだ▼貸金業の問題に限らず、昨今の議論の中には消費者と企業を対立関係に置いて考えるものが以前よりも増えているように感じる。「企業からはもっと税金を取ろう。でも雇用の機会は増やそう」などというのが典型で、企業が追い詰められれば雇用は増えない。「新規産業で」と言ったところで、魅力のない国に新たな民間企業は育たない。もし育つとすれば、それは国のお抱え機関で、増えるのは官僚・公務員の就職先ばかりだろう。 |
| なかなかに世の中は皮肉なものである。 法改正を行うにあたり、金融庁は貸金業者が減少することに何の懸念もしていなかった。というよりも、積極的に減少させることを望んだ。全国に一万件を超える登録業者がいれば、監督も満足にできないから、というのがその理由である。昨年四月のJCFAの座談会で、野村修也教授は「粒々に指導するのが難しいときは、全部塞ぐことも必要」と言った。むろん、金融庁の気持ちの代弁である▼その結果、ヤミ金被害の増加が懸念され、ヤミ金融取締強化のために、金融庁も含めてあらゆる関係機関が連携して様々な取組みをしなければならなくなった。実態の見えている貸金業者の指導・監督を放棄して楽になるかと思ったら、実態の見えない、どの位存在するかも分からないヤミ金融の取締りという仕事が増えたわけである。ご苦労さんなことである。こういうのも「焼け太り」というのであろうか▼公表された「借り手の目線に立った10の取組」。どう考えても、借り手の目線には立っていない。なぜなら、借り手は「借りることができてこそ借り手」なのであり、「借りられないことが善である」という思想を前提としている以上、借り手の目線は持ち合わせていないということだ。府令を少しいじったところで、借りられないことには代わりがない。しつこいようだが資金需要者の利益とは、「ニーズにあった適切な資金にアクセスでき、しかも選択肢が多様にある中で選択できる」インフラがあることである。 |
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